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2005年1月前半




1/1   書き初め

 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 お正月の恒例行事といえば姫はじめ書き初めがありますよね。ただ小中学生のころ以来、あまり書き初めをする機会がありません。みなさんもあまり無いと思います。
 書き初めはもともとは仕事始めのときに神様をまつるという意味ではじまったものらしいですが、江戸時代からの寺子屋教育によって広まり、『寿』とか『福』とかを書いて神だなに飾ったりしていたそうです。そして、戦後に入って抱負とかを書いたりするようになった模様。まあ、今は書き初めといっても、ほとんどの場合は学校の冬休みの宿題でしか見ませんよね。
 ところが私の弟がここ数年間、書き初めをしているというのです。正月に嫁の実家に行くと、一年の抱負を漢字一文字で必ず書かされるらしいんですね。去年は『楽』と書いたそうです。なんとなく血のつながりを感じてしまいます。

 というわけで、私もたまには書いてみようと思い、必死に抱負の一文字を考えて書いてみました。その文字は、

 『養』

 これからは叡智を養って自らを養い、他人も養えるぐらいにならねばいけないなぁという気持ちを込めて書いてみました。うん。我ながら素晴らしい。
 ん、なんだよオカン。何書いてんだって? 見てわかんないの。書き初めです。今年の抱負。
 は? 「まだ養われたいのか」って? ちがうよ。つーか、養われてないし。むしろ養いたいし。
 これ以上ないぐらい美しく清らかな少女を養いたいし。養女にしたいし。そして完璧に養って、キッチリ収穫したいし……って、何泣いてんのさ。ねぇ、ちょっと、待ってよ!


 ……
 慣れないことをするもんじゃありませんね。





1/3   一年の計は元旦にあり

 あまりにヒマだったもので、澁澤龍彦の本を読み直してます。やっぱ興味深いね、コレ。読んだこと無い人は是非一読をお勧めします。さしあたり『少女コレクション序説』あたりからがいいかなぁ。
 その中で女性の乳房について言及しているところがあり、ちょっと興味をひかれました。
 女性の乳房に対する考え方の変遷が載っていたんです。以前雑記(03.4.12分)でも『美』の変遷について触れたときがありましたが、乳房という一部分についての変遷もまた結構激しいです。
 近世のヨーロッパの貴族の間では大きな乳房は敬遠されましたこともあります。また江戸時代の春画には乳房が書かれてないのもあったそうです。乳房が重要視されない時代もあったのですね。
 しかし、現代では巨乳全盛。“チチが無ければ女じゃない”“チチがあれば芸能界でもデビューできる”という世の中です。日本でもアメリカでもとにかく表に出てくる人はやたらデカイ。それでいて身体はスリムなんですから、女性のホルスタイン化がすすんでいるとしか思えません。それでもマスコミは未だに巨乳信仰を推奨している感じですが……。
 ところで、もともと現在の巨乳信仰は誰が推進したものなのでしょうか。澁澤龍彦の著作には「自分に自信の無い男性が母性を求めるとき、シンボル的な意味合いとして乳房を求める。乳房の大きな女性を乳母のようなものとして希求する」というようなことが書いてありました。もともとはそういう面から生まれてきているのでしょう。でも、現在はその一面について社会(メディアなど)がレールを引いて『巨乳ブランド』を商品化している状態でしょうね。「韓流」みたいなもんです。
 では、巨乳好きでないむしろ微乳を好む私のようなごく少数の男性は、何を希求しているというのでしょうか。単にブランドに対して反抗しているだけなんでしょうか。否、我々は新しい時流をつくるために生まれてきたニュータイプ。そうでないと言い切れるでしょうか?

 ということで、今年のテーマが決まりました。
 『微乳への追求』で今年のPitch's Garageはやっていきます。よろしく(←ホントに?)





1/5   雪男

 うちの会社には、その人がイベントに参加すると必ず雨が降る、いわゆる『雨男』がいるんです。
 私は行かなかったんですが、先日会社のイベントで行った先で大雪になったそうで。

 そのイベントから帰ってきて以来、なぜかその人は「イエティ」と呼ばれています。





1/6   私たちが汚れきってるのか?

 先日飲みに行ったとき、隣の席のキレイなおねーさん方がさくらんぼのヒモの部分を舌で縛って楽しんでいました。みなさん、キレイに縛れていました。
 そのおねーさん方が帰った後、「すごい舌技だった」「あんな技でやられたらイチコロだ」などと下品なネタで盛り上がるオッサン2人をよそに、若者がきょとんとした顔で一言

「さくらんぼぐらいなら、ボクでも結べますよ?」

 まばゆい。
 君の発言は、汚れきった私たちはまばゆすぎる……。

 ちなみに、彼は秋葉原のことをただの電気街だと思っているようです。まだピュアな若者って存在するんですね。





1/7   みな考えることは同じ

 地下鉄内での女子高生の会話。

「前話してた例のカレ、イタズラ好きで困ってんのよ〜」
「そうなんだー」
「今日は生理で身体がつらいって言ってんのにさ、平気でイタズラしてくるんだよ」
「困ったちゃんだねぇ。で、何されたの?」
「最低だったのが、髪を汚されたとき。飛ばすなっていってんのにさ、聞いちゃいねーからね〜」
「うわー、サイアク」
「こびりついちゃうし、ニオイもついちゃったし、ひどいもんだよ〜。だからさ、ほら、まだチョコレートのニオイするでしょ?
「ホントだ。おいしそうなニオイしてるよ」
幼稚園入ったばっかの子に怒ってもしょうがないんだけどね〜」


 ……
 「チョコレート〜」ぐらいのところから、地下鉄内の空気が明らかに変質しました。
 男って悲しい生き物ですね。





1/14   これからどんな『常識』がでてくるのやら…

 ようやく引越しの準備のメドがたってきました。
 もー、腰が痛いったらありません。身体中が筋肉痛です。運動不足がモロに出てます。家でもすぐ爆睡です。


 先日ちょっと気になったことがあったので、その話でも。
 会社の女の子が映画の話をしていたときに、

「映画の中とはいえ、タバコを人前で堂々と吸うのはどうかと思うんだ」
「まったくね」

 うちの会社は全フロア禁煙です。なぜなら女性陣がこぞって嫌煙家だから。いや、別にそれを批判するつもりは毛頭ないんですよ。私はタバコ吸いますけど、世の中の流れで分煙がすすんでいるのはいいことだとも思ってますし。
 でもまあ嫌煙が進むと創作物でも気をつけないといけないんだなぁと感慨深く思い、どんな映画かと聞いてみると、60年代の映画だというじゃないですか(タイトル忘れた)。
 そりゃないぜ、セニョリータ。過去のことは言っちゃいけないよと思ってたんですが、ネット上でも「寅さんは受動喫煙に配慮がない」って記述を発見。うーむ。

 今の作品で受動喫煙に配慮が無い表現を出すのは悪いかもしれません(話の構成上必要なときもあるとは思いますけど、それはおいといて)。しかし、えらく古い映画にまで「受動喫煙が〜」なんて言うのはどんなもんでしょうか。
 30年ぐらい前では、みんな人前でばかすかタバコを吸うのは当たり前でした。私の父も伯父も祖父も子どもだった私の前で平気でタバコに火をつけていました。『受動喫煙』や『嫌煙権』なんて言葉など聞いたことも無かった時代です。このころの映画・ドラマなどでは家族の前で喫煙するシーンはいくらでもあるはずです。
 常識というのは変化します。最近では特にそれが早いです。私が学生だったころ、『ポケベルが鳴らなくて』なんていうドラマがありましたが、今やポケベルなんて持っている人はほとんどいないでしょう。
 今の常識だっていつ変わるかわかりません。今はミニスカな制服が主流ですが、今の女子高生が母親になるころはロングが流行るかもしれません。自分のミニスカ制服姿の写真を娘にバカにされたらどうおもうでしょうか。また、20歳以上年下の女性と結婚するのがフツーになったら、今のロリが常識で他の一般人は熟女好きの変態ですよ? そんな常識がこないなどと言い切れるでしょうか。いや、できないはず!(注:願望入ってます)

 おっと、妄想はおいといて。
 ですから、過去の常識を現代の常識であれやこれや批判するのはナンセンスであると、私は思うわけですよ。差別用語などとは違うわけですからね。
 でもまあ、古い作品を改めて放送したりDVD化したりするときには、なにかしらのキャプションを入れる必要が出てきているのかもしれません。

「本作品には受動喫煙に配慮の無い喫煙シーンがありますが、当時の状況を踏まえそのまま残してあります。ご了承ください」

 めんどくさい世の中ですねぇ。

「本作品では、同年代で結婚したカップルが多く登場しますが、これは当時の慣習であり、けして全員が熟女好きというわけでも、幼女に興味がまったくない変態ばかりというわけでもありません。あしからず」

 ↑こんな世の中になるとうれしいんですけどねぇ。


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