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2006年2〜4月



2/20   供養

 サイト長期放置プレイ中のぴっちです。ご無沙汰してます。
 さすがに出張中はなかなかネットに接続できず困っております。初期は禁断症状が出ていましたが、近頃ではすっかりそれすら出なくなってきました。たまに奇声を発するぐらいですね。周りはドン引きしてますけど。
 今日は誕生日会があるということで早く帰ることが出来ました。しかし誕生日といってもいい歳したオッサンばかりですから単なる飲み会にしかならないんですけどね。とりあえず疲れがたまらないようにということでタウリン補給のため生牡蠣をたらふく食べました。やっぱり何でもいいもんだよね、「生」は。(←オッサン的発言)
 まあ誕生日を祝うという習慣は以前にココでも書きましたが、戦前の日本には無かったんです。昔は「数え年」ですから、1月1日に皆1つ歳を増やすという方式だった訳なんですよ。まあ初の誕生日(1歳)の時だけは力持ちになれということで、餅をついて祝ったそうですが。誕生日を祝う風習はギリシャ時代にあるとか何とかという説がありますが詳細はよくわかりません。
 かように日本では誕生の日は重要視されていなかったのですが、亡くなった日である『命日』はきっちりと合わせて供養をしていました。まあ、日本だけじゃないですけど。
 宗教が違っても命日を気にしないというのは聞いたことありません。『命日』という概念は世界共通だと言えるのではないでしょうか。日本の仏教では、祥月命日だけでなく月命日というのもあるぐらいです。亡くなった日というのは、故人を思い、敬い、忘れないために、そして徐々に忘れていくためにも気にかけなければならない日という世界共通の感覚なのでしょう。
 毎日生まれいでては消えていく生命。人間だけではなく、その他多くのものが死んでいきます。ほら、ネットのみんなも週に何回か、人によっては日に何回か大虐殺を行ってるでしょう、ぴちぴちと泳ぎ回っている精子たちを!
 生の目的を達成させることなく、紙の上で脱水症状で死んでいく彼らの命日を忘れてはなりません。水子供養ならぬ精子供養もしっかりしてやらねば、彼らも成仏できないのではないでしょうか? 皆さんも今日からはゴミ箱へティッシュをたたき込む前に、きちんと合掌なり、十字を切るなり、亡くなった彼らの供養をしてからにしましょうね。

 ……
 自分の誕生日に何が「精子の供養」だ、と思わなくもない三十路の誕生日でした。





2/22   もう手遅れなんじゃないかと思うもの

 ・「キタコレ!」と普段から言ってしまう人
 ・アミノ酸 or カテキン飲料を飲んでいるピザ
 ・カラオケになるとプリキュアもしくは暗黒童謡「チコタン」を熱唱する人
 ・曙
 ・今高3の女子高生
 ・ティッシュの上でびちびち跳ねている精子
 ・トリノ五輪の日本代表と、必死にあおるマスコミ
 ・電車の中で見かけた3歳児を必死に網膜に焼き付けようとしている自分





2/24   フルーツパーラーにて

 この間、義弟に勧められて、東京で有名だというフルーツパーラーに行って来ました。
 義弟は大のフルーツ好きで一人でよく行くらしいのですが、店内はほとんどが女性客。たまにカップルもいますが、男は居心地悪そうにしています。でも義弟は全然気にしてませんし、私も我がストライクゾーンに入る女性もいませんので気にせず「イチゴミルクパフェ」と「マンゴパフェ」を注文しましたよ。

「マンゴ、うめ〜」
「兄貴、わかっちゃいないな。この時期にイチゴを食べないとは」
「そういうもんなの?」
「イチゴは今が一番いいシーズン! 特にここのパーラーはフルーツとそれ以外のものとのコンビネーションが非常に計算されていていいんだよ」
「ほほう」
「たとえばこのアイスクリーム。きれいなお椀型にもられた上にピンク色のイチゴをあしらい、その上からどろどろのカスタードクリームをのせる!」
お椀型にピンクにどろどろ……ふむふむ」
「これをイチゴの真ん中の割れ目から真っ二つにして、一緒に口に含む。食べてみ?」
割れ目から…口に含む……むう、確かにうまい」
「そうだろ?」
「だがしかし、マンゴもいいぞ。このマンゴ独特のにおいとわずかな酸味
「たしかにマンゴの微妙な酸味はいい」
「ふふふ、マンゴの臭いと酸味がわからなくては……まだまだ甘ちゃんだな、義弟よ」
「でも、このコンデンスミルクとピンクのイチゴのハーモニーは、いまこの時期を逃してはたべられないっ! 舌の上で転がすとたまらないっ!」
「くっ、確かに転がしたい」
「これに比べたらマンゴなどただの臭いアワビ型の果物にすぎないぜ」
「何を! マンゴ最高!」

 ……
 この会話を下からの視点で改めて見ると、とても卑猥ですね。
 女性ばかりのところで「マンゴ」って連呼してたしなぁ。





2/26   結露

 この間仲の良い同僚とバーで飲んでいたんですが、氷を入れるとグラスが結露して底が濡れますよね。張り付かないようにコースターを置くわけなんですが、私は性分的にどうも底が濡れてるのがイヤでして、まめにおしぼりなんかで拭く癖があるんです。そのときに

「何度拭いても濡らしやがって……オマエってヤツは心底スキモノだなっ!」

 って言って拭いてたら、同僚に思い切り引かれました。

 どうやらココでもアブない人として認定されそうな気がするよ、ママン。





3/1   悩み

 会社の同僚で、あと1週間で三十路に突入する若者がいるのですが、コイツが

「三十路になるのが不安で不安でたまらないんです。三十路になって年取ったなぁとか思う事ってありますか?」

 などと聞いて来るんですよ。
 仕方がないので三十路2人がかりで教えてやりました。

「変わったことねぇ……そういやさ、たまには心ゆくまでひとりHするぞっ! って気合い入れてオカズをそろえて、最低3回はヌクとか目標たてても、1回ヌクとどうでもよくなっちゃう時に年とったなぁと思うね」
「あるある。しかも冷静にオカズをそろえるのに費やした時間とか金額とか計算して、『30過ぎて何やってんだよ…』と考え込んだりするな」
「でもそういう面については学習能力無いから、また同じことするんだけど」
「しかもホントに3回できたりすると、『まだまだオレもいける!』と勘違いしたりして、こすりすぎて血がにじんだり」
「あるあ……ねーよwww」

 20台ラストの同僚は、ますます三十路になるのがイヤになったそうです。困ったもんですね。





3/11   「妄想」

 よく妄想がひどすぎると言われるぴっちです。こんばんは。
 私自身も自分のサイトのことを「妄想書きなぐりサイト」と書いてますが、実際の所「妄想」と「想像」って近い距離にありますよね。ちょっと気になったんで、改めて国語辞典で調べてみました。

 想像 → 頭の中に思い描くこと。既知の事柄を元にして推し量ったり、
       現実にはありえないことを頭の中だけで思ったりすること。

 妄想 → 根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。

 おおまかにまとめてみると、「間違った判断によって作られたネガティブな想像=妄想」ということでしょうか。辞書の書き方だと、妄想という言葉にはかなりのマイナスイメージがありますよね。社会的に見て価値がゼロもしくはプラスが「想像」であり、マイナスが「妄想」であるという感じでしょうか。
 しかし、プラス・マイナスという判断は一般的な社会の目から判断されたものであり、多様な価値観にあふれた現代では、一概に何が良くて何が悪いか、何が「想像」で何が「妄想」なのかと決めるのはなかなか難しいのではないかと思うのです。はっきり言って個人の頭の中というミクロな社会においては、想像も妄想もほぼ同意義のものとして働いていますし、かつどちらもプラスにもなりマイナスにもなるといった性質のものだと思うのですよ。ぶっちゃけて言えば、「他人から見たら変態だけど、自分の脳内で完結してるなら気にするな」って訳で。

 ただ残念ながら私の雑記の場合、ネットを使って外部(社会)に放出されているわけですから、そういった意味では「想像」なのか「妄想」なのかは社会によって決められてしまうわけです。
 さて、では普段私が書きなぐっているものがどうかということなんですが、辞書の意味をもう一度確認してみると、この部分がポイントになると思うのです。

 「根拠のない誤った判断」

 ということは、根拠があり裏付けが取れた客観的な思考の場合は「想像」となるわけですね。
 私の雑記の場合は根拠をあげて「○○だから〜なった」というのは割と書いてあると思います。時間があるときは裏をとって、そこに至る経緯や歴史などを挙げていたりしますから、この部分には抵触しないという判断ができると言えましょう。少なくとも根拠が皆無というわけではありませんので。
 とココまで書いてきてなんですが、似たような意味で「空想」というのもあります。これを辞書で引いてみると、

 空想 → 現実にはありそうにもないことをあれこれ頭の中で想像すること。

 なんかコレが一番意味としては近いような気がします(←根拠のない判断)。

 ……
 言葉遊びって面白いですね。結構好きです。
 でも言葉責めの方が好きですが(もちろん責められる側として)。





4/26   太陽のような

 お久しぶりとなりました。ぴっちです。
 随分と放置気味になっていますが、どうしたものかと思いつつ今まで来てしまいました。
 私事ですが、転職・転居と環境が激変しておりましてなかなか時間が取れません。あげくにネット環境も未だにダイヤルアップと貧弱極まりなく、定期的に見ていたサイトさえ巡回できない有様。今の世の中ADSLぐらいはないと何にも見れませんね。

 まあ今までよりペースは落ちますが、従来のようにさわやかなテキスト −例えるならば一日干した布団の上にバフッと倒れ込むときのような「お日様の匂い」がするような− を書いていきますので、またよろしくお願いします。
 そういや、干した布団の匂いって気持ちよい感じがするんですが、あの匂いの成分って乾燥したホコリや人の脂らしいですよ。そうやって聞くととってもアレなんですけど、これが麗しき少女の布団であるならば、むしろ脂をすべて鼻腔の中に叩き込みたいじゃないですか。だって(以下略)

 というわけで「美少女の脂お日様の匂い」がするサイト、Pitch's Garageを今後もよろしくです。





4/29   「生きる意味」って何?

 「武士道は死ぬことと見つけたり」などと言いますが、死んだらもともこもないですよね。
 たまにはまじめっぽいことを言っておかないと、「ロリ」だの「犯罪者」だのひどい扱いを受けるのでそれっぽいことを書いてみたぴっちです。

 昔の人は『死』というものに価値を見いだしていました。切腹もその表れでしょうし、戦争の時代も国や家族を守るために亡くなっていった人たちがいます。
 それに比べたら今の世の中は『死』は無価値なものとして扱われているような気がしますね。むしろイキロといった感じで言われます。

 じゃあ生きることに意味があるのかというとどうなのでしょう。(こうやって書くと哲学を語ってるみたいでカッコイイですね。みんなホレてもいいよ?)
 まあ生きていることに意味がありそうな人もいますが、やはり大半はただのんべんだらりと暮らしているわけで、とくに意味があるのかといわれると考え込んでしまうこともあると思うんですよ。
 ぼんやり働いて休憩中に近くの女子中学のグラウンドを執拗に眺めていたりとか、休みには自室にこもってひたすらエロゲのシナリオに一喜一憂しながら子種を無駄に白い紙に吐き出したりとか、道行く少女の後ろ姿に思わず両の手でしがみつきたくなる衝動をおさえてみたりとか。みんなにも覚えがあるんじゃないでしょうか? うん、きっとあるよね!?

 このような一見すると犯罪者ちっくな無意味な生活も、ある種の言葉を使うことで意味を持たせることができます。

 『生きがい』『自分探し』

 これらの言葉を語尾につけるだけで、

 ・美少女を眺めることがボクの『生きがい』なんです!
 ・私は自分探しの一環として、エロゲのシナリオを読み込んでます。

 ほらっ、この通り意味のある行動、人生に早変わりします。
 これでもう「オレの人生って、何なのかなぁ…」などと鬱々する必要はありません。積極的に『生きがい』『自分探し』をしていって、意味のある生を送ってください。

 というわけで、私は『ライフワーク』の美少女鑑賞に出撃して来るんで、それでは。


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