2005年4月後半 4/17 久しぶりの休み 最近仕事と仕事とひとりHしかしてないため、なんだかやつれて心なしか肌の色も青白くなってきています。このままいくとシュレックみたいな綺麗な緑色になれるのではないかとほくそえんでいたんですが、緑色になるためには葉緑素と光合成が必要と思い、体脂肪率15%の体を引きずってランニングに出ようとしたのはいいものの、足がひどく重くて動けません。たぶんあまりに動いてなかったんで、足が走り方を忘れたんだと思います。仕方がないので走り方を思い出すべく、インターネットで検索しようといつものようにPCに向き合ったところ、電脳空間を走り始めた私の(妄想空間の)2本の足を止めることができず、今に至っております。 <今日の収穫> 『想い出がいっぱい』の歌詞の中にある「一人だけ横向く記念写真だね」ってのが、好きな人を見ていたために横を向いていたのだと知ったこと。 今日あった出来事はコレだけでした。まる。 4/19 微乳派の説明 先日いとこと車を走らせているときに、私の微乳好きについてやたら言及されました。 いとこは根っからの巨乳派で、小さいのが良いという人が理解できないようなのです。世の中の巨乳派にはこのような方が実際多いのでしょう。 私としては巨乳派を否定する気もありませんし、説明をして微乳派を増やしたいとも全く思っていないのです。微乳派はむしろ少数派でいいんです。独占できますし。 しかし、あまりにも突っ込んでくるので仕方なく説明をしてやることにしました。 「一つ聞くが、私は乳輪は小さ目が好きだが、オマエはどうだ?」 「え、そりゃ小さ目のほうがいいんだけど」 「チチはでかい方がいいのに、乳輪は小さいほうがいいとは……そもそもそこがまちがってないかい?」 「いや、そんなこと言っても…」 チチが大きいということは、当然それに比例して乳輪が大きくなる可能性が高いということです。乳輪の大きさを重視した場合、必然的に微乳になりますよね。どちらもとろうだなんて、ムシが良すぎます。 「もう一つ聞くが、オマエはタレ乳好きか?」 「できれば張りがあるのがいいんだけど」 「ならばオマエは、相手を若いのに常に変え続けるか、維持できるようにエステやらなんやらに通わせるだけの費用を捻出せねばならないぞ」 「……」 重力に抗うなんてどだい無理な話です。シリコンやら生理食塩水を入れるってんなら別ですが。 それにくらべて微乳なら垂れてもたいしたことありません。うちの嫁なんかは、そもそもたれるものがありまs(以下、自主規制) 「さらに言うが、もじもじしながら両手で胸を必死に隠している女子を想像してみるがいい」 「えっ?」 「もう一度言う。『私、小さいから……』とホックを外されたブラをおさえた状態から、おそるおそるその手をゆるめていき、『あんまりじろじろ見ないで……ちっちゃいから…恥ずかしい』って真っ赤な顔をしながら消え入りそうな声で言うさまを妄想するがいいっ!」 「おおっ!!」 「巨乳派と違って、微乳派は相手の気持ちになって妄想するのだ! チチが足りない分などは、妄想力で余裕で補完しておつりがくるんだよ!」 微乳派とは、決して自分本位に動く人々ではなく、方々に気を使える優しい人種のことを指すのです。女性の皆様、ここ重要ですよ! 「すげぇ……」 「わかったか、従兄弟よ」 「ぴっちさん」 「なんだ、微乳派に転向する気にでもなったか?」 「たかだか微乳を語るのにそこまで妄想できるなんて、心底変態だね」 …… 巨乳派は、どうもデリカシーに欠けるようですね。 4/20 決まったようです バチカンでやってる『コンクラーベ』を「根比べ」と脳内変換している日本人は、全国で3千万人ぐらいはいると思うのです。 さらに『実は「コンクラーベ」は日本語の「根比べ」に由来する』というような大嘘を、ネタとしてまことしやかに主張する人もきっといるんじゃないかな(特にネット内。出典『民明書房』とか書いて)と思っていたんですが、 まさか自分の母親から聞かされるとは思いませんでした。 久しぶりに電話があって、何かと思ったらそんな話……。しかも真実だと疑ってないし。 ちなみに『コンクラーベ(cum clave:ラテン語)』は、日本語で『鍵をかける』ぐらいの意味。ぜんぜん関係ないですね。 4/22 鼻水ずるずる 鼻が終わってます。 うっかり水分をとると、全部鼻水に変換されて出てくる感じ。ティッシュの使用量が半端でなく、ついにはなくなってしまいまして、先ほどからは必死で鼻をすすっている状態です。口の中も鼻水だらけ。胃の中も鼻水だらけ。これが愛する娘(脳内養女)のものだったら、いくらでもすすりあげてあげるのに。というか、飲ませろ。 普段はマナーとしてあまり人前で鼻をかまないようにはしているんですが、この時期だけはところかまわず鼻かみまくりです。食事中だろうがなんだろうが、「ちょいとゴメンよ」と一声かけてズビズバしております。 それだけでなく、ティッシュが近くに無いときは鼻もズズーッとすすりまくり。ゴックンはあまりしないようにしていますが、量が多いときはどうしても口まで来てしまうんでやもえないときもありますねぇ。 汚いとは思いますが、しょうがないですもの。花粉症にかかってなくて汚いと思う人は、ぜひとも花粉症患者に代わって杉の木を伐採してきてください。というか、ここまでくるとスギ花粉は立派な公害だよな、公害。誰か国とか山の持ち主を相手に訴訟起こしてくれないかなぁ(他人頼み)。 まあそんなこんなで、先日も鼻をすすりながら地下鉄に乗っていたんですが、そこにおそらく万博に向かっているのだと思われる白人のご家族がいたんです。 私が推定12歳くらいの娘さんの姿を後で反芻して萌え萌えするために網膜に焼き付けていると、隣に座っているお母さんがひっきりなしに鼻をかんでるんですよ。まわりの日本人は鼻をズズーッとすすってるのに対して、気持ちが良いくらいに豪快にズビズバしてるんです。むう、うらやましい。 知識として「ヨーロッパでは人前で鼻をかむのはとってもフツーのこと」と知ってはいたんですけれども、目の前でしているのを見て本当なんだなぁと実感しました。向こうでは日本のように鼻をすすることがむしろタブーなんだそうです。 ところ変わればマナーも変化します。この家族にとって、マスクをして鼻をずるずるしている日本人の姿はどのように映っているんでしょうか。 「お母さん、日本の人って鼻ずるずるしてるネ」 「ホント、汚らしいっ! チセ(仮名)は真似しちゃいけませんヨ」 「でもなんか苦しそうだヨ。ほら、特にあそこに座っているスーツの男の人なんて、涙をためてるヨ」 「そんなの見なくていいノ。ほっときなさイ」 「ううん、かわいそウ。ちょっといってくるネ」 「あ、ちょっとまちなさい、チセ」 「オジサン、なんでマスクしてるノ?」 「ああ、これは花粉症だからさ」 「カフンショウ?」 「アレルギーの一種だよ。国の陰謀で、そこら中にアレルギー物質がばら撒かれているんだ」 「なんてヒドイ! オジサン、かわいそウ」 「まあ仕方ないよ」 「ううん、仕方なくなんかナイ! だってオジサン、泣いてるモノ……」 「優しいね。ありがとう」 「わたし、オジサンの涙ふいてあげル!」 「いいよ。そんなに気にしなくても。その気持ちだけでうれしいから」 「ダメッ! ちょっと動かないでネ……」 ペロッ 「うわっ!」 「フフフ。すこししょっぱいヤ。でも、どんどん出ても私がふいてあげるネ」 …… よし! よおおおしっ! 網膜焼付け&妄想試運転完了ッ!! じゃあ私はこれから本格的な妄想モードに入るんで、今日の雑記はこの辺で(あたらしいティッシュの箱を用意しながら)。 4/27 もはやオールドタイプなのか? 出張から帰還しました。 一日の大半を車の中で過ごしました。もう車で出張なんて行きたくありません。新幹線バンザイ。 尿意を抑えきれずに入った、高速道路のパーキングでのこと。 「おとーさん!」 大便用のトイレの中から、男の子の声がします。駆け寄る若い男性。 「なんだ、○○。どうした?」 父親らしき男性が、ドア越しに声をかけると思いもかけない言葉が中から飛んできました。 「このトイレ、家のと違う。どうやってウンコすんの?」 和式便器の存在を知らないようでした。 …… 時代は変わったのですねぇ。 4/29 一人称 ちょっとしたきっかけがあって、一人称について気になっています。 このサイトで私は『私』という一人称を使っていますが、なんで『私』にしたのかと突然疑問に感じてしまいました。 男性の多くは、『私』『僕』『俺』(注:ひらがな・カタカナなどの表記の違いは置いておきます)の3つの一人称を使いわけていると思います。ちょっと気になって巡回しているサイトを見てみると、よく掲示板にカキコしていただいている向夏さんをはじめ『僕』の使用率が高いですね。次点が『私』でしょうか。ブログでは『私』が多いような気がします。『俺』も結構いますね。ごく少数ですが一人称を使い分けている人もいました。 私がリアル世界で一人称を使う場合、『私』と『俺』を使うことが多いです。仕事で上の立場の人や外部の人と話すときには『私』、部下やプライベートなど タメ口の時に『俺』を使います。たまに『俺』を仕事上の話をしているときでも使う人がいますが、ちょっと違和感を感じますね。その場の状況に合わせて一人 称を変えるということは、絶対ではありませんが多少必要なことじゃないかなぁと思っています。 と、ここまで考えてみて気がついたんですが、最近『僕』をあまり使いません。以前は使用率が一番高かったのに。 『僕』を使う場面を考えてみると、わりと身近な目上の人やそれほど親密でない同等の立場の人と話すときが多いです。学生時代では先輩や先生、会ってから 時間がたってない同級生と話すときに使っていました。社会人になってからも同様ですね。ということは、近い立場にいる目上の人や新しい同僚と話す機会を 持っていないということになります。今や使うのは直上の上司か、たまに話す先輩にしか使わないですから、確かにそうですね。学生時代のように近い立場の人 と新しい出会いがあることは多くないですから、どうしてもそうなってしまうのでしょう。 そうやって考えると、サイトで使う一人称は当然サイトで扱う内容にもよりますが、サイトを始めたときの年齢や社会環境も多少なりとも影響しているのでは ないかなと思ったり。私が『私』を使っている理由を考えてみると、リアルでの使用率が高いことと、仕事の関係で文書をよく見たり書いたりするので、自然と 『私』を使ってるのではないかなと思うんですね。内容によって『僕』『俺』を使いたいなぁと思うときもあるんですけれど。 実際のところどういう因果関係があるのか、誰か調べて欲しいところですねぇ。 まあネット世界のモノですので『ボク』だったり自分のことを名前で呼んだり、どんな一人称を使っても全然構わないとは思いますけどね。サイトのカラーにあってさえいれば問題ないですよね。 でもね、リアルで自分のことを『ボク』って言ったり、自分で自分の名前を呼ぶのはどうかと。 最近良く行く取引先の女の子に、コレがいるんですよ。さすがに何とかしてくれって頼んでみたんですが、 「お客様とかにはキチンと『私』って言ってますよぉ」 オレはアンタにとってお客なんだが、それはそれで良いってことかね? 4/30 久しぶりに気になるニュース 『女子高生スカート丈 熱く論議 県教育委員会』 女子高校生の制服スカート丈の短さが、沖縄県 県教育委員会で取り上げられ、熱い議論が交わされたそうです。熱く語ってるところを見てみたいなぁ。 ついでにYahooニュースにトンボ学生服でおなじみ、トンボ繊維社長のブログへのリンクもはってありました。学生服メーカーも大変ですねぇ。 はっきり言って、女子高生の制服など勝手にやらせとけばいいと思いますよ。あれだけ男を扇情しているわけですから、自分が襲われるリスクがあるということぐらい理解していると思いますし。理解していなければ、襲われたときに理解するでしょう。それもまた勉強。 というかね、現在のミニスカ制服は、女子高生の深層心理からくる焦りの表れなんですよ。もう高校生である自分たちは、パンツが見えるぐらい脚を露出しなければ世の男性たちを誘惑することすらままならない価値のない存在であることを、認識はしていないものの感じ取っているんですよ。 ここんとこずっと女子高生のミニスカ制服は続いています。若い男性にとって、ミニスカ女子高生は既に常態化しているわけです。最初は萌え萌えしていたかもしれませんが、美味い料理だって食い続ければくどくなるように、はっきり言って飽きているわけです。こんなのに引っかかるのは常態化していないオヤジと一部のDQNだけ。DQNに襲われる可能性を覚悟してまでやる必要は無いわけですよ。 にもかかわらず続ける理由は、そうでもしないと自分たちよりも価値を持つ新勢力に負けてしまうわけです。 新勢力……女子小中学生や二次元キャラなどの萌え勢力にです! もう女子高生に価値があった時代は終わったのです。なのに女子高生バブル期を忘れられず、必死に維持しようとしている行動がミニスカなのです! と、一生懸命 相方に説明してみたんですが、 「アンタの趣味を肯定するための詭弁やな」 と一蹴されてしまいました上、前に雑記に書いたことのある『&G』のPV(美山加恋ちゃんが出まくってるやつ)を取上げられてしまいました。 なかなか上手くいかないものですねぇ。 |
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